旅の感想文 OL四人、フンザにメロメロの記
2007年ゴールデンウィーク 保坂恵理子
この春、フンザに惚れた。神々しき峰峰、美味しい空気、澄んだ水。魂に響く歌や踊り、子ども達のあふれんばかりの、また、はにかむような笑顔。素朴な民家、チャイのおもてなし。温かい人々。のんびりと草をはむヤク、ヤギ、ウシ。時を超えて残る氷河。
往復路、片道2日のカラコルムハイウェーも素晴らしい。悠然たるインダス河、トラックの極彩色。岩絵、ガンダーラ仏教遺跡。山間をうねりつつ続く長大な1本道をひた走る我々の小さなバン、頭の中でその鳥瞰イメージを反芻しては陶然となった。
フンザに着いた翌朝、ジープでドゥイカル峠に御来光を拝みに行った。眼下には風の谷の美しい村、目を上げると5000~7000メートル級の世界の屋根。夜明け前後の静謐の中、蒼い空気と崇高な山岳美の中に包まれて、至福を感じた。
今回の旅のメインはアッパーフンザ(パスー村)での「のんびり」滞在。氷河に触わりにいったり、おっかなびっくり隙間だらけのつり橋を渡ったり、おうち訪問をしたり・・・。そして穏やかな散歩。迫力ある山々を近景に、やさしい緑の中を歩く。ていねいに積まれた石塀の道。時々、動物と対話。のどかで時がとてもゆっくりと流れていて、光がきらきらしていて。甘美なひとときだった。
ガイドさんの段取りのおかげで踊り鑑賞のお願いが叶ったときも特筆したい。まず、楽器奏者3人を車で迎えに行く。その後しばらくして、背後から突然、大音量の楽器音が鳴り響いたときは本当に驚いた。多分サブガイドのカリームさんの演出。そう広くはないバンの中、楽器と大笑いの音の渦が巻いた。
少しして、パスー村と川の眺望がきくカーブでバンが止まる。なんとここでカリームさんとメインガイドのシャワリーさんが踊ってくれるそうで、また驚く。座りこんだ奏者の脇で躍動する二人に(二人はパスー出身かつ幼馴染とのことで息もぴったり)、ただただ見惚れた。各々方「マイダンス」をもっているというのか、本当に自然に楽しそうに踊る。ここはただの道脇、バックは大自然、抜けるような青空の下、演奏が高らかに鳴り響く。しかも観客は我々のみ!
そして村では小さな広場にて長老方が見守る中、少年・青年が踊りを披露してくれた。披露といってもプログラムなどなく、カリームさんの掛け声のもと、踊りたい人が踊るという素朴なもの。男性のみが人前で踊ってよいそうで、女性は半回転の手振で盛り立てている。たくさんの村人。ちらっちらっと視線を投げてくる美少女達。こんな幸せ、あってよいの?もしや夢? いや、現実だ。すべてを目に焼き付けたくて、かえって目が泳ぐ。最後に、少女達と歌の交換。ガイドさんに「ジベ・パキスタン」というパキスタン・ソングを教わっていたのが役立った。
ホテルに戻ると、再びガイドさんとホテルの主人が踊りを見せてくれた。そう、村の人はみんな踊れるわけだ。それにしても、なんというホスピタリティ。
「あああ、やだやだ」。パスー村3泊目=フンザ最終の夜、星空を眺めながら、旅仲間の一人が言う。「ほんと、やだやだ」「うん、やだやだ」。すぐにシンクロ。つらすぎて、「帰りたくない」「もっともっといたい」と直接的に言えず、こんな感覚的なモノイイになる。
悲しいかな、勤め人の旅の時間は限られている。またフンザまではなんとも遠い。ということで、かくも短い滞在でリターンせねばならなかった。三十代にもなって駄々の一つもこねたくなる。本当に旅を終わらせたくなかった。
ガイドさんとも別れ難かった。ご一緒していて、ずっと安心だった。9日間、我々は心から和み、甘やかされ、笑い続け歌いまくった。バンの中で聴いたカリームさんの美声、異国のメロディは一生忘れない。普段は首都に住む彼らの「ふるさとパスーを愛する心」も印象的だった。彼の地の人はシャイな方が多く、特に口に出して言うわけでもない。でもパスー村に入った途端にガイドさんたちの顔が光り輝いたのを、我々は確かに見、胸に刻んだ。
実は旅の直前、仕事の調整がどうしてもつかず、自分のみ、あわやキャンセルとなりかけた。でもでもやはり行きたい。その一心と僥倖と甘えにより、あわあわと後発が相成った。1日遅れの航空券(残席1!)が急遽購入でき(しかしエア代は3倍に・・・)、シルクロード・キャラバンさんが夜分・前日ながらも全旅程の仕切り直しをしてくださったのだ。大手旅行社を通していたらそうはいかなかっただろう。本当に深謝している。
旅とは何だろう。大自然に、人に、異文化に会いに、遠くへ行くこと。風に吹かれたり、たたずんだりしに、遠くへ行くこと。そして世界の広さ深さを改めて学ぶ。認識を更新したり、新しい感覚を得たりする。頭ではなくて、経験を通していろいろなことを知る。旅心を満たさないと心身不調に陥る人が、世の中には一定数いるのではないか(北パキスタンまで足を伸ばす人は、おそらく皆さんそうだろう)。
カラコルムハイウェーで時々見かけたのが、「夕暮、崖に座って山々や夕日を眺めている男達の姿」。交通機関は一本道のみ。土地の人にとっては多分、車に乗っているほうが特殊な状況。仕事後、歩いて、停まって、眺めて。考えているのか、祈っているのか、無の境地なのか。提唱されるまでもなく当たり前のものとしてある、「スローライフ」。ふいに見かけて、ガツンとやられた。現代日本に日々せわしなく生きる者にとっては相当のインパクトだった。
また、強烈な「切なさ」なるものを、この旅で覚えた。いい年をして心がナマモノになり、旅行後、「幸せに生きるということ」や「ふるさととは」など、普段は措いていることについてつらつら考えた。そういえば齋藤亮一氏の写真集『フンザへ』のあとがきでも、幸せについて、最近の日本人について触れていた。作家の宮本輝氏も『ひとたびはポプラに臥す』のフンザの巻の巻頭で、“人は何を幸福と感じて生きるのか”をテーマにしていた。
フンザとは、きっと、そういう場所なのかも。一度知ったら心に明るく灯る場所、人に物思いの種を蒔く場所。キャンセルの危機を乗り越えて行けて、本当によかった。今度は杏の花が咲き乱れる頃に行きたい。会社勤めにはちょっと難しそうで、相当先になるかもだけれど・・・。紅葉の時期も素晴しいと聞いた。一面ポプラの黄色に染まるフンザ! 想像するだに恍惚とする。絶対再訪したい。
シルクロード・キャラバンより
保坂さんたち女性4人組は、普段は大変お忙しいワーキング・ウーマンたち。
2005年、東京青山で開催された写真展「桃源郷フンザへ」(写真家 齋藤亮一さん)へ行かれ、大判モノクロームのフンザを前にして、いつか行ってみたい、という強いお気持ちを持たれたということですよね。
どんな旅がご希望ですか? 必ず行ってみたい場所は? 旅のペースは? とお聞きすると、「のんびりしたい。観光名所にはこだわらない。現地の人の普通の生活が見てみたい。あと現地の生の音楽が聴きたい」と肩の力が抜けた感じのご回答。それに沿って手配をさせていただきました。
フンザでは、世界の屋根群を間近に眺めたり、氷河を触りに行ったり、散歩したり民家でお茶をのんだり・・・と、ゆったりご滞在をされたようです。滞在先を出身地に持つガイドがご案内をしたこともあり、感受性の豊かな4人が、ローカル・ライフの中に溶け込んで楽しまれたご様子がうかがえます。そして、現地で昔から営々と続けてきた生活や、幸せの原点みたいなものをお感じになったのかな、と想像しております。またご旅行後、フンザに帰りたい、というような強いノスタルジーにかられているご様子も、そのご報告から感じられました。
現地では、生の音楽もご希望だったため、現地の楽隊(基本の3人編成)を呼び、村人たちに踊ってもらいました。楽隊は、祭りや結婚式に呼ばれる、それを生業としている人たちです。踊り手である村の男たちは、長老から小さな男の子まで全員踊ります。踊れない男性というのは、あちらにはいないのです。牧畜と農作業の労働に追われる毎日で、農閑期の冬以外は娯楽がないですから、保坂さんたちのおかげで、彼らもはじけて踊っていたに違いない。その踊りから、普段は実に穏やかなフンザ人たちの、眠っている熱い血みたいなものを、お感じになられたでしょうか。
いつも笑いの絶えない保坂さんたちですが、ご帰国後、パワーアップされ東京の職場に戻られたことでしょう。ありがとうございました。